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世界中を飛び回りビジネスを展開している和田氏。数多くの経験の中で、トラブルや逆境にもめげずに確立された強い意思と行動力に迫ります。東京支店 営業担当 和田達也 伊田 洋平

海外出張で学んだ「責任」

wada prof
和田達也プロフィール
大学時代はバックパッカーのような旅をたくさんしたという和田氏。
新しいものに対する好奇心が行動力となって多くの経験を得ることができたという。
危険な目にもたくさんあったというが、過去の旅での経験と度胸で切り抜けることができたそう。旅で得られる異文化からの刺激が勝っていたという和田氏の近藤商店での海外出張でのエピソードに迫ります。

入社して数ヶ月後にアメリカへ出張することになりました。近藤商店に入社した経緯は、私の上司が全く英語を話せない状況から、現在では海外でバリバリと仕事をしているという社員インタビューを読んだことがきっかけでした。このインタビューを読んでとても胸が熱くなり、直ぐに会社に連絡をとって面接を行いました。入社したらすぐに海外出張へ行かせてもらえる、おまけに一ヶ月の短期であるが大学へも留学させてもらえる、この二つの条件に魅かれ合格通知が出てすぐに入社を決断しました。これまでの海外経験でもそうですが、良い意味でも悪い意味でもすぐに行動・決断してしまう性格で、これは現在の海外出張での活動に活かされていると思います。
アメリカへの出張、予想はしていたが、学生時代の経験はほとんど役に立たちませんでした。これまでの勢いで何とかなるのでは、という甘い考えは簡単に覆されることに。一言でいえば、「責任」というものがこれまでの旅にはなかったように感じます。
当り前ですが、仕事で行く以上何らかの結果を残してこなければならない。例えそれが今後ビジネスを失うような結果になっても、責任を持って出張の目的を遂行しなければならないからです。 ホテル、レンタカーの手配、時間までに目的地に着き打合せを行う。これまでの行き当たりばったりの旅では順調に行かないのは当たりまえ、むしろその必要はなく、少なくとも誰にも迷惑を掛けることはありませんでした。しかし、仕事でも同じ考えで動いていれば人に迷惑を掛けるだけでなく、最悪の場合商売を失ってしまうことにもなりかねません。 自分の行動に対して責任を持つ、これはアメリカへ出張して学んだ社会人としての基本であったと体感しています。

 

アメリカ滞在

1.留学で学んだ「伝えるチカラ」

in America入社して二年目の夏、アメリカのシカゴにある大学へ語学留学することになりました。日本人の全くいない環境、しかも他の生徒は始めから英語が流暢に話せる、これは自分にとって最大の試練でした。辞書を引いたり、文法を考えていてはとても間に合わない会話のスピード、これにはお手上げ状態でしたが、黙って座っていてはあっという間に留学期間の一ヶ月は経ってしまいます。
それに留学させてもらっている「責任」がそこにあります。もう恥ずかしさは関係なく、とにかく自分の知っている単語、聞き取るための耳をフル稼働させて積極的に講義には参加しました。英語が話せないからと煙たがられても、しつこくランチや放課後の集まりにも付いて行き、全てうまくいったというわけではありませんが、こうした行動で徐々に友人ができ、何より「楽しい」、「もっと仲良くなりたい」という気持ちが、英語に対するコンプレックスを打ち消してくれました。一ヶ月後にペラペラとまではいきませんでしたが、英語が流暢に話せないなかで如何に自分の気持ちや考えを伝えるかということが、この留学で得た大きなチカラになりました。

2.最後までやり抜く

私が入社して会社から求められているのは、会社の柱となる「新しい商売をつくる」ことでした。部長から「新しい商売をつくるのは井戸掘りだ。諦めず、投げ出さず、根気強く最後までやり抜く。」ということを教えられました。部長は、「辛いことであるが、商売がだめでも責任を持って結論を出すこと。」これは私が常に心がけていることです。
留学の最後の締めくくりとして、新しい仕入先との打合せを行うため、レンタカーで片道7時間以上かけ向かうことになりました。これまでの経験が全て試される人生最大の大仕事。レンタカー、ホテルの手配、運転らしい運転などしたことのないアメリカの道、全ての力を全開にしてこの仕事に臨みました。
wada prof 目的地に着くまでが試練でした。左ハンドル、標識、ルール、アメリカの運転に慣れていないため、目的地に着くまでに相当な苦労をしました。パニックになって、もう諦めようと何度も考えましたが、「責任」という言葉が何度も頭の中を過り、それよりも諦めることの悔しさがパニックや不安に勝りました。また、ここで学生のときの旅で学んだ「最後はなるようになるさ。」という考えが活かされ、身体の余分な力が抜け不安も一気に払しょくされたように思います。
心配していた仕入先での打合せは思いのほか順調に行われました。これまでの集大成、すべてのことがこの現場で発揮されたように感じています。現在、このビジネスはまだスタートしていませんが、諦めず結論を自分で出すまでやり抜きたいと思っています。

商売の指針

入社して三年目には、インドへ出張することになりました。以前、上司と共に訪れたインドではありますが、今回は一人、しかも価格交渉を行うという大きな目的がありました。
出発日の二日前、東日本大地震が起こりインドへの出張どころではない状況。地震が起こる前、ちょうど今回の出張の打合せをおこなっている最中で結論も出ていない、また、資料も未完成で、とても価格交渉に臨める状態ではありませんでした。
地震の当日は会社に泊まり、翌日帰宅し地震で散乱した部屋を片付け、慌てて明日の準備をすることになりました。
wada prof 当日も交通網は麻痺し、何とか空港に到着。
飛行機も大幅に遅れましたがインドへ飛び立つことができた。タイを経由してムンバイの空港へ到着しましたが、地震の影響で預けたスーツケースが届いていませんでした。パソコン、着替えなどは全てスーツケースの中。翌日は何もない状態で仕事に臨まなければなりませんでした。空港に着いたのも深夜で、スーツケースの遅延手続に時間が掛かってしまい、ホテルに着いたのはなんと夜明け前でした。
そんな状況の中その日は、ほとんど何もない状態で打合せを行いました。相手の方は地震のあったにも関わらず、また何もない状態で訪問したことに驚いていましたが、そのような状態でも来てくれたことに打合せ相手は喜ばれ、普段ではなかなか聞き出せない情報を聞かせてもらうことができました。
その後地震後の慌ただしいスケジュールでほとんど睡眠をとらなかったこともあり、一気に体調を崩してしまい、追い打ちでこれまでにない程の腹痛と下痢に襲われました。薬と気力で何とか国内線に乗り込み何とか目的地までたどり着きました。今回の最大の目的である価格交渉、最悪のコンディションで臨まざるを得ない状況です。
腹痛で顔を歪ませながら担当者と挨拶をし、価格交渉が始まりました。極限の状態でしたが、上司から教わった「価格交渉は仕入れる側、買う側、お互いがハッピーにならなければ成立しない。」ということだけは忘れないように心がけました。交渉中はお互いにとってハッピーになる妥協点を見つけ出すため、英語だからうやむやにするのではなくどんな些細なことでも質問し、こちらも相手も完全に理解でき納得できるまで話し合いました。意識が集中してきたこともあり、全くともいわないまでも不思議と腹痛には気をとられませんでした。腹痛を起こしていることを相手に言えば、それを理由に交渉をうやむやにされ病院へ連れて行かれそうになるのを恐れ、最後までこのことは伝えませんでした。交渉は数時間に及び、結果、お互いにとってハッピーな妥協点を見つけ出すことができました。気が抜けたのか腹痛はぶり返して翌日は病院へ連れて行かれることに。
これまでの海外出張は相手と打ち解け信用、信頼されることを第一に考えて行動してきましたが、今回のインド出張はお互いの会社の利益がぶつかり合う、下手をすれば信用や信頼関係が壊れてしまう、戦いの場所でした。こちらの要求を突きとおすことは簡単ですが、一方だけがハッピーになるようではこれから先一緒に商売を行っていくことは難しいと思います。お互いの要求をぶつけながらも、相手のハッピーも考えた、今後も信頼のもとに協力していける関係、初めて自分の中で「商売の指針」ができた経験でした。

近藤商店はやる気のある人間にはチャンスを与えてくれる会社です。会社を説得できる理由があればインドでもアメリカでも商売に行くことができます。一つの枠に収まらず、自分で新しい道を切り開ける人、一緒に仕事ができることを楽しみにしています。
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